ビジネスの失敗例「自転車のシェアライド」
ビジネスの失敗例「自転車のシェアライド」
最近の例を一つ上げるとすれば、自転車のシェアライドであろう。数年前に世間に認知され始めた中国発のアイデアであるが、現在は既にこのビジネスは衰退してほとんど聞く事はない。民泊やオフィスなどの様々な「シェア」ビジネスに便乗したものなのであろうが、そもそも無理のあるビジネス内容である。単純に、利益を生み出すシステムがないからである。
自転車のシェアライドといったら、自動車のレンタカービジネスのようなシステムを連想するのかも知れない。また実際に投資家にはそのように上手に説明して、共感を得ていたのかもしれない。しかし現実的に自転車のシェアライドでは、レンタカーのように多くの場所に乗降場を建設して利益を生み出せるほどの料金設定は出来ない。また自動車ならば、車の駐車に関する法的な整備等がある為、目的地の近くまでの利用になると納得できるが、自転車であれば目的地まで直接行きたいと利用者が思うのも当然であろう。従って利用者の利便性を上げる為に、いつでもどこでも自転車を利用できるようなシステムになったのである。つまり、自転車の乗り捨てが可能になったのである。普通に考えたら理解できるのだが、コレは社会的な大問題になる。
シンガポールで、自転車のシェアライドを導入した経緯は分からないが、予想通り悲惨な状況であった。導入当初は、
1. タクシーやバスを利用するよりも二酸化炭素を排出しない自転車を利用する方が地球環境に優しい。
2. 自分で自転車を購入するよりも安いし、乗り捨て可能なので便利である。
3. 最寄駅から自宅までの通勤時間の短縮になるし、徒歩での移動よりは汗をかかなくて済むようになる。
4. 休日のサイクリングが身近になり、より健康的な生活が手に入る。
等々、利用者を増やす為の様々な宣伝文句が街中で見られた。導入予期は物珍しさから、利用者も多かったがその数はすぐに減少し、リピーターはほぼなく、数か月後には錆びた自転車が街中に散乱しているという悲惨な状態であった。そしてその錆びた自転車を回収して回るトラックが毎日のように街中を走っていた。
実は、この自転車のシェアライドの収入源や目的は、顧客の利用履歴から得られるビックデータである。自転車の利用には、携帯電話での登録が必要である。利用者は携帯電話を自転車のカギの部分にかざすだけで簡単に利用できる仕組みになっており、一回の料金は距離にもよるが大抵の移動であれば、数十円程度と格安である。その料金設定では、当然利益を上げる事は出来ないが、利用者の数が莫大になれば、顧客の行動範囲や行動パターンから、様々なビジネスに応用できるビックデータの収集が可能になる。そしてそのビックデータを、政府が国民の監視や統制目的で利用したり、様々な分野の企業が営利目的で利用する為の情報源として販売する事で利益を生み出そうというのが、自転車のシェアライドの狙いであり、真の収益構造であった。
しかし、この狙いは見事に外れる事になった。単純に考えれば分かるのだが、
1. 車の所有率はさほど高くないが、公共交通機関などのインフラ普及率が高いシンガポールではそれほど需要がない。
2. 一年を通して気温の高い熱帯の国で、季節は夏季と雨季しかない。またスコールが多く、いつ雨が降るか分からない不安定な気候である為、通常生活の中で自転車を利用する文化がない。
3. エアコンは富の象徴であるかのような考えがある為、公共の場や商業施設や映画館等では長袖を着ないと風邪をひいてしまうくらいガンガンにエアコンが利いている。熱帯の国であるにも関わらず、出かける際には上着を持って行かないといけないというのはシンガポールあるあるであろう。従って、エアコンの効いているバスやタクシーを利用せずにわざわざ自転車を利用する行為は自分が貧乏人であるかのような印象を持たせ、恥であるとすら考える国民は多い。
4. 週末にサイクリングを楽しむような国民は、既に自分で自転車を購入できるくらいの中流階級である事が多い。また、趣味や健康の為に快適なサイクリングを楽しみたいのであれば、それなりのレベルの自転車を購入したいと思うのが自然でろう。
以上のような様々な理由により、実際に自転車のシェアライドはほとんど需要がないままであった。僅かにいた利用者も、低賃金の外国人建設作業員やお手伝いさんであった。早朝や夜遅くに利用する建設作業員の姿や、週末に公園や海岸沿いでピクニックやサイクリングをするお手伝いさんの集団の姿は、よく見る光景であった。言い方はあまりよくないが、低賃金でしかも数年でその国からいなくなってしまう顧客のデータを欲しがる企業はほぼないであろう。また、政府機関にとってもあまり役には立たない情報であろう。
これらの要因はよくよく考えれば分かる事なのだが、成功する為には常に何か新しい事に投資をしなくてはならないと信じ込んでいる若い投資家たちは、その話題性にすぐに飛びついてしまうのである。確かに新しい事業は実際に試してみなければ分からない事も多い。
しかし、本気で事業を成功させたいと願うのであれば、先ずは事業のマイナスの部分を過大に掘り下げて分析するのがセオリーである。そしてその上で、事業のプラスの部分や未知数の可能性を分析・検討して、トータルでプラスに転じる可能性があるかどうかを検討し、投資に値するかどうかを判断する事が大切ではないだろうか。明らかにマイナス要因が高そうな事業にイチかバチかでチャレンジするのは、投資ではなく、ただの博打である。会社のお金を使ってギャンブルをするのは、チャレンジ精神や積極的な経営判断ではなく、もはや犯罪行為である。
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